今村という地名のうつりかわり

1889年~ ( 平町3 伊藤惣一 1979年5月 筆 )

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 古い記録によると、今から500年ぐらい前に、碧海部今村(現安城市)に住んでいた松原吉之亟が一族とともに西加茂郡の今村(豊田市〉に移り、尾張国春日井郡横山村に移って今村と改名し、居城を構えたということである。その城跡が城屋敷町の八王子神社の境内にある。これより前の古いことはわからないが、松原公以後はこの土地が今村という地名であったことは確かである。

 今村という地名の語源を辞書でしらべると、「新たにできた集落」の意味である。また、地名辞典で今村をみると、「安城市の一部、都市化の波にさらされ変容が著しい」とある。

 とにかくこの土地が今村という地名で、住んでいるものだけでなく他の土地の人々からも今村と呼ばれ、地理院でつくられた地図にも明らかである。それが、明治22年(1889)の最初の町村合併で、八白村が生まれ東春日井郡八白村大字今村となった。次に明治39年(1906)の町村合併で、旭村大字今となり、更に大正14年(1925)瀬戸町に合併して瀬戸町大字今となり、瀬戸町の発展とともに新町名の設定で、今村の名は全く消えてしまった。現在今村の名が残っているのは、名鉄バスの「今村停留所」と「今村保育園」の2ヶ所だけである。

 地名は、外からの事情でかわったが、中味までは大きく変わらなかった。しかし、昭和30年(1955)頃から除々に変わりはじめ、村社会から都市社会に生れかわってきた。