重箱長屋/家

( 旧編集委員会 1980年6月 筆 )

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 ここでちょっと変った借家ブロックをご紹介してみよう。

 現在の瀬戸市陶栄町南東部に、昔、「重箱」とよばれる一画があった。5軒長屋が2つ、3軒長屋が2つ、お互に向かい合って四角形をつくり、その形が重箱のように四角だというので、この16軒の借家で形づくられたその四角形のブロックを「重箱」とよんでいたのである。この重箱の中央に立つと16軒のお戸口がみんな見える。その中央部分に、3、4軒ずつが共同で使うような流し場がおかれ、重箱の東北角に当るところに大きな滑車のついたつるべ井戸があって、16軒の生活用水をまかなっていたが、車のついた井戸だというのでクルマ井戸といわれていた。その車井戸の真向いにお戸口のある家(つまり西北角)に、寺山の青山一党の娘だという、おしげさんという人が住んでいた。

 重箱はちょうど台地の上に建っていたので、おしげさんの家はうらからみると2階のように見え、うら口から入ると、駄菓子などが並べられていた。子供相手の小商いをしていたのである。おしげさんの家を正面から入ると、通りにわの右が「だいどこ」次が「お勝手」この2室の向うに「おおえ」と呼ぶ部屋が1つ。通りにわの突当りの戸をあけて石段を下りると、そこが「みせ」になっていて、家の中に石段があって下に土間がありそこが「みせ」という、ややこしい家であった。恐らく下のみせの部分は後でつぎ足したものではなかったかと思われる。ちょっと変った町家の一例である。

 その重箱の北側のすぐ下に「おとくさん」と呼ばれるかみ結いさんがいた。この若い女かみ結い師、おとくさんは、今、效範町で人形と玩具の専門店として有名なマツナカの大ばあさん、その人であった。