自治と消防/自治

1874年~( 旧編集委員会 1980年11月 筆 )

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 部落ができ、火災により類焼の危険がでるようになって考え出された「破壊消防」が火消しのはじまりのようである。桶で水をかけることから、やがてポンプが使われるようになったが、これは明治7年(1874)、東京で腕用ポンプが使われたのが最初のようだ。

【消防組】

 今村文書に消防関係のものが7点ある。これでみると、いち早く自治的な消防組を組織したのは、川西嶋と北脇嶋共同の「川北組」のようである。明治29年(1896)3月、消防ポンプを買うため募金した寄付帳によると、川西で55円25銭、北脇で24円90銭、合計80円15銭が集まり、これで1台62円30銭の腕用ポンプと、鳶12丁、梯子、半鐘等を買っていて、名古屋古渡町、喞筒販売合資会社の領収書が残っている。

 古老の話では「菱野の大火に出動したら、珍しがられて見世物になってしまった」という。寺山組では、明治40年(1907)創設、と書かれた腕用ポンプが現在も寺山集会所の倉庫に保存されている。市場組については物証はないが古老の話から、ほぼ同じ頃発足していることは確かだ。今もその流れは続いていて、自警団組織があり、腕用ポンブ、手引動力ポンプが残っている。

【消防組規則】

 明治40年(1907)4月に寺山嶋、翌年川北組で各々成文化されたものが残っていて、組合員は17才以上40才(寺山組は45才)、負傷した者は組合費を以て幾分の補助をする、組合員は役員の命に背かず(3条)集合の際事故あり集合せざる者は翌日その由申出る(8条)。3条・8条に違反した時は役員協議の上組合から除名し、一切の交際を除く。本消防夫以外の男子は消防夫が帰宅するまで昼夜の別なく地内を巡回するものとす。毎年正月15日に日待(出初式)をする等とあり年貢(組合費)は1升5合とする等の記録もある。

【警防団】

 昭和14年(1939)4月警防団令が公布され、従来の消防組と防護団を合せて警防団が生れた。戦時中、従来の消防組は自警団として隣組と密着し、器具等も活用された。

【消防団】

 昭和23年(1948)には自治体消防が発足し、消防庁→消防署の組織と地域の消防団とが相まって消防は大きく前進し、今や消防は単なる火消ばかりでなくあらゆる災害に大きく活躍しているのである。