町内会と自治会/自治

1888年~( 旧編集委員会 1980年11月 筆 )

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【大字今区規約】

 全文9章106条からなるこの規約は、大正4年(1915)(区長青山鎌太郎さん、区長代理稲垣義富さんの時)に、稲垣兼四郎さんはじめ16名の起草委員の手で作られ、年始総会で審議決定したと記録されている。明治期に生きた人々がうけついだ「村の生活」を広く集めてまとめあげたもので、第1章総則に始まりついで自治機関、産業、土木、教育、社寺、風教、経済、衛生、警備の各章から成り、「大字」が区長を頭とする完全な「村」の形で運営されていたことがうかかえる。

(1) 自治機関
 町村制{明治21年(1888)4月法律第1号}第64条に基く区長、区長代理者がおかれてい た。これは名誉職であるが、村費から報酬として大字のものを合せ、区長に年額 50円、区長代理者に5円を本大字より支給(第7条)したとある。

(2) 年始総会
 各拾人組から拾長の他3名以上必ず出席する(22条)総会で、評議員4名を選出し(任期2年)、次点者4名を以て補充員とする(11条)、となっている。

(3) 拾長会
 拾長会は大字自治に関する問題を協議する。拾長会に本人が出席できない時は、20才以上の者を以て代理させる。拾長は区長の任命で任期1年。

(4) 評議員
 評議員は本大字に関する一切の事件を評議する、として議決すべき8つの項目が掲げられており、その第8項は本大字に関する請願及び和解に関すること、と なっている。

【瀬戸市区別】

 昭和5年(1930)「瀬戸市区設置規程」ができ、一区を安土として川北を東へ、そして、川南へ渡って清水田までを13区に分け、今村が23区と24区、美濃之池が25区、赤津が26区と27区に分けられた。区長及び代理者はその区の内申により、市長が市議会の了承を得て任命した。報酬は区長年額20円、代理者は10円であった。

【町内会隣組】

 昭和15年(1940)、訓令17号「部落会町内会等整備要領」が出た。18年(1943)には市制町村制が改正され、国策遂行のため町内会が実務的にも道義的にも国民を動員する義務的組織となり、食糧や生活必需品の配給、国債の消化、供出等の他、防空防火の地域単位として重要な役割を果たしてきた。常会(寄り合い)は上意下達下意上通をめざして開かれていた。

【自治会】

 町内会は新憲法施行と同時に禁止されたが、元来自然発生的なこの組織は、自治会と称し自主的機関として生きのび、27年(1952)その政令が失効した頃には、もう完全な住民組織として定着していた。