青年団雑考/教育

1885年 ( 早稲田柳右エ門 1980年7月 筆 )

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(今村之青年=本紙第2号参照=創刊号所載 昭和10年) 〈抜すい〉

……瀬戸市今村青年団と申しますと何だか新しいように思われますが、本団の創立されたのは遠く明治28年の11月3日、明治天皇天長節をトして、日清戦争戦勝記念に発会式を挙げたのであります。

 その当時、まだ青年会というもののなかった頃で、随分乱暴な時代だったそうです。只今の效範小学校の前身、八白尋常小学校に灘波田篤卓という首席教師がおられて、青年の風規矯正を叫んで、斡旋大いに努められ遂に本会結成の基礎を作られたと云うことであります。

 当時の記録によりますと、毎月10回の補習教育(夜学)農業改良の研究等、いろいろの事業を行い、規律の厳格であったことは、到底今日の比ではなかったのであります。

 (中略)

 創立以来の精神と努力をつづけた功績が認められて明治42年4月3日初めての愛知県青年大会が碧海郡安城町の農林学校講堂で開かれた席上「多年補習教育ニ努メ実業的施設ノ見ルベキモノアリ」という事由で第1番に表彰せられる名誉を担い、賞金25円を授与されています。表彰された当時の青年会長は稲垣兼四郎翁と承ります。中部日本最古の青年会だというので、県内は勿論、県外からも視察があったという話でありました。

 (後略)

 紙面の都合で全文はご紹介できないが、発表当時の青年団長は玉置巌さんであった。