「明治六年学校所入費帳」の、ランプ5個、石油1斗5升、提灯10張、ローソク、火鉢8個、炭5俵などの買物は、沿革簿「五」の「夜学 明治7年(1874)4月15日開設」とあるところから、これは夜学開設のためのものと判った。
夜学は学齢外の村民を対象に開いたものと考えられるが、沿革簿で調べると、第3区内では79小学校中、沓掛、小木・今村の3校のみが夜学を開設していたが、第2区には開設校が可成りあった。
また、学校所入費帳の中に「新聞誌5冊、25銭」の記録が5ヶ所もあって何のことかよく判らなかったが、県教育史によると、「民智を開明し、布告、布達の浸透を狙って」明治7年(1874)から諸新聞の購読をすすめ、教師は毎月定日に講義をするようにとの達しが出ていたことが載っており、そのための新聞代とわかった。