産業組合と今村/暮しと生業

1900年~( 旧編集委員会 1980年10月 筆 )

<back

【産業組合】

 産業組合というのは協同組合の別名である。政府は明治33年(1900)に法律を公布し講習会や印刷物でその設立を奨励したが仲々すすまなかった。組合の協同事業の種類は、信用、購買、販売、利用の4通りあつて、その1つだけの組合と2つ以上を兼ねる組合とができた。

  • 瀬戸陶土利用組合  {明治42(1909)・1・29設立}
  • 三郷信用販売購買組合{明治42(1909)・7・22設立}

というようにである。

【今村信用購買組合】

 瀬戸信用金庫社内報「せと」、昭和36年(1961)7月号に監事伊藤浜吉さんは「50年前を回顧」して、要旨次のように書いている。

  • 組合の設立許可申請書を知事に出したのは明治44年(1911)4月で、当時今村の全世帯主260名を1軒1軒説明に回り、賛成116名を得て提出。
  • 同年8月2日、預金と貸付を扱う信用業務を夜間だけ、故稲垣兼四郎組合長宅で始め、購買部は八王子神社境内に15坪の建物を建て、業務を毎日午後3時から晩まで開き、商品の仕入れや売り方は役員が週1回出勤して行った。これが15年間続いた。
  • 理事、監事は全く無報酬の奉仕だったので、経費は少く、年々業績は向上し、組合員も増加し事業は順調に伸びていった。耕地整理事業(本紙4号・6号)で八間道路が完成、その道路沿い(現在の瀬信共栄支店の位置)に木造洋風2階建、延34坪、総工費5124円96銭で、昭和2年6月、事務所新築落成。ここで始めて信用事業が昼間行われるようになり、購買事業は昭和12年(1937)7月で廃止、組合名も今村信用組合と改称された。

【瀬戸信用金庫】

 戦時中、各種事業の統合が奨励されて、昭和17年(1942)、市内5つの信用組合の合併が実現、「瀬戸市信用組合」となり、その後昭和26年(1951)信用金庫法の公布と共に「瀬戸信用金庫」となった。