西山町にある廃棄物埋立場は、もと、ショウジガネと呼ばれる池でした。この池は松原広長公時代すでにあったもので、広長公は自ら先頭に立ってモッコをかつぎ、村人を指揮して洲止め工事を行い治山治水に力をつくされたので、それまで水に難儀をしていた農民は大いに救われました。このあたり、瀬戸の北側をめぐる山なみがちょうど終る所で、山の根っこのハナ(端)というところから根ノ鼻といっていました。そしてこの根の鼻から山の南側斜面に、ちょうど今の自然歩道にみるような段々の道が伸び、現在の南山センター附近から少年院あたりを抜け遠く美濃へと通っていました。昔は車というものがなかったので段々道でよかったが、大八車が登場すると具合が悪くなり、平坦な道が求められました。そこで今度は道路工事が始まるのですが、その道のことを横山街道といっていたようで、旧瀬戸街道はその後作られた道だと古老は伝えています。
「横山街道、根ノ鼻、今、新居トノサカイノトオリニテ真東ニハ美濃カヨイノ紺田馬ノ立場アリ、往昔国定忠治宿リタル由伝説アリ」
国定忠治が出てきたのには驚きましたが、この道が中馬街通の一つであったことは間違いないようで、西山町下の辻には胴体が真二つに折れた馬頭観音石像が今もひっそりと佇んでいます。