平屋造りの駅舎
″せとでん″の愛称で親しまれている名鉄瀬戸線。
その歴史は古く、開業は明治38年(1905)。瀬戸・矢田間を結んで瀬戸自動車鉄道の名でスタートを切りました。当初の停車駅は17。そのひとつに「根の鼻駅」がありました。
瀬戸市南山町2丁目30番地。現在、空き地になっている場所に駅舎が建っていました。三郷と水野(以前は今村駅)とのほぼ中間点に位置し、線路には当時使用されたホームの一部が残されています。
「私たちにとっても幻の駅ですよ」と語るのは進陶町に住む本庄一夫さん(74)。大森駅長を勤めたことのある瀬戸線の元運転手です。「三郷と今村の間はで最もスピードが出るところだったんですよ。その途中、確かに平屋建ての駅舎があったけど、通過するだけで降りたことは一度もなかったなあ」と振り返ります。
昭和19年に休止
郷土出販社が発行した「保存版・瀬戸線の90年」にあるように、根の鼻駅は昭和19年(1944)に休止。そのまま復活されることはありませんでした。
昭和30年(1955)ごろに越してきたた松成直実さん(68)は「私が来た時は、この辺りは田んぼばかりでしたよ」と、当時の町並みを思い起こします。そして「線路側から瀬戸街道を通る車が見えたし、民家も数えるほど。駅を利用した人も少なかったのでは」と推測します。
松成さんによると駅舎が取り壊されたのは昭和40年(1965)ごろ。それまでは名鉄職員の社宅として使われていたそうです。「長井さんという方が家族4人で住んでいたのを覚えています。飼っていたスピッツによく吠えられたことは今でも懐かしい想い出ですね」。
その後、せとでんの近代化とともに町も急速に発展。今は工場や住宅が並ぶにぎやかな風景の中を真っ赤な電車が走っています。