堤防の変遷/瀬戸川の今昔

1908年~( 旧編集委員会 1979年11月 筆 )

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 古い時代の堤防は並木が縁の帯をつくっていた。それは大水のとき立木のまま八分通り鋸を入れて倒し水防に利用する目的で考えられたものだという。並木も年を経て大木になると地震や暴風のとき根がゆれて堤防を弱くし、流れれば橋もこわし耕地にも被害あるとの理由で旭村長矢野友二郎(北脇の人)名で県知事に対し明治41年(1908)1月24日付で大字今地区内の堤防樹木伐採認可申請が出され、伐採資料が今村文書にある。

 それによると伐採した木は目通り外周3~4尺それが359本 1~2.5尺もの49本、計408本あり、45本を残してすべて伐採し125円50銭で売却し伐採・跡埋工費71円40銭を支払った残金は大字今の水害復旧費に充当された。

 その後は竹、笹、葦、猫柳等の雑木が自然の姿で堤防を護っていたが、八間道路(県道名古屋瀬戸線)ができ、桜並木造成事業が行われた昭和4年(1929)頃、ついでに堤防も桜並木にしようと青年団によって植樹が行われたが、何年か過ぎた頃、河川課の指示で取除かれた。

 現在の堤防は両側共、一部分を除いて、舗装道路化されている。