瀬戸川の氾濫/瀬戸川の今昔

1925年 ( 旧編集委員会 1979年11月 筆 )

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 大正14年(1925)8月14日から15日にかけての大雨は瀬戸で300ミリを記録した。県下の第1の被害地は挙母、保見、三好の各村で瀬戸方面はこれにつぐ第2の被害地とされている。(愛知県災害誌)

 瀬戸川の橋は殆ど流失、川畔にあった旧陶原小学校校舎も流失、いまの新大橋下流50m地点で南岸が決潰し今村南部の耕地は泥海と化し土砂の流失や埋没で12ヘクタールの田地が荒地になった。

 この善後策として区長青山政五郎さんはじめ地主の人々の協力で耕地整理事業が進められた。