瀬戸に於ける上水道の歴史を調べてみると、大正14年(1925)、市(当時瀬戸町)の桜町に、組合組織の簡易水道が設けられ、50戸に給水されたのがはじまりであるが、上水道が本格的に課題としてとりあげられたのは昭和2年(1927)のことであり、それまでは、みんな井戸水に頼っていたのだった。
市では、昭和6年(1931)に水道工事に着手、同8年(1933)末に完成、給水を開始した。瀬戸市の上水道水源は、瀬戸川の水源である馬ヶ城渓流と矢田川上流(赤津川→山口川)の水を集め、馬ヶ城に堰堤を築いてここに貯え、水源池としたが、増えつづける人口には勝てず、昭和32年(1957)、第2水源として、瀬戸川と矢田川の合流点に近い西原町に大きな深い井戸を堀り、水源を地下に求めて、長根、幡山西、效範の区域に給水されるようになったが、さすが深い地下水だけに、「水道らしくないおいしい水」「一味ちがう甘い水」と、評判のよい水を送りつづけている。
なお、現在ではそれでもまだ足りないため、県水(愛知用水)も使われていることは周知のとおりである。