下水路になった瀬戸川/瀬戸川の今昔

1955年~( 旧編集委員会 1979年11月 筆 )

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 市内の理科の先生でつくっている理科教育研究会が、郷土の川をきれいにする資料づくりのため、47年(1972)から毎年夏休みに水棲生物調査を行っている。これまでの調べでは、魚がほとんどいなかった瀬戸川にも、この2年前ぐらいから魚が戻ってきている、と報告されている。

 確かに見たところでは、きれいになったが、かつての川に取りもどすことはむづかしい多くの課題があることを思う。昭和30年(1955)頃まで、農家非農家を問わず家庭の流し水は、受ける溜(ホーレ)があって、そこから地下へ返すか、汲みとって畑へもっていき肥にした。これが崩れたのは、水の使用量が多くなったことや合成洗剤が使われるようになって家庭の流し水をそのまま側溝に流す式になったことではなかろうか。し尿浄化槽からの排水も側溝に流れる。新市街地(菱野・水野団地)には下水道が完備しているが、旧市内は側溝から支流の川に集まり瀬戸川に合流される。瀬戸川の水源は、上水道に集水され、各家庭をまわる。昔のように瀬戸川には自然浄化能力はなくなっている。

 土地開発が進み、雨水排水が十分でないために被害地が増加したので、川西都市下水路が53年(1978)度に完成した。ついで、效範町、北脇町、松原町地域の浸水対策として53年(1978)度から、松原都市下水路工事が、5ヶ年計画で始まっている。