昭和40年(1965)頃、效範小学校前の瀬戸川は水の流れる部分が僅かで大部分は雑草が茂り、100羽以上のカラスの集合場所になっているニセアカシヤの林もあった。
43年(1968)春、川西町の1年生児童が下校時に共栄橋西の県道を横断中交通事故にあった。当時、信号はなかったが、苦しみながら「ボクは悪くない」と叫びつづける子供の声に学校関係者は深く考えさせられた。(調査の結果は子供の言った通り車の方の過失だった)これを契機に川西町児童の通学路が検討され、河川敷を利用して共栄橋下を通すことになった。早速父兄の協力や藤工業?の機械力の応援を得て、市道平町十三橋線に沿って河川敷通学路ができた。
その後、構想は発展し、連区自治会長らが県庁に出向いて、当時土木技監であった伊藤武男さんを通じ「瀬戸川の改修と余った川原を公園にしてほしい」と陳情を行った。こうして、県の護岸整備と川ざらえが終るのを待って瀬戸市公園整備5ヶ年計画による效範橋下流川端町地内に公園施設第1期工事が始まった。44年(1969)度学校日誌に「12月8日ブルドーザ3台で工事開始」と記されている。
長さ250m、巾30m、周囲にサイクリングロードをそなえ、サツキやツツジも植えられて46年(1971)5月に完成、学校の第2運動場に、通学路にと利用されている。