ガスの道/街道の今昔

1912年~( 旧編集委員会 1980年1月 筆 )

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 旧瀬戸街道には、名古屋市呼続にあった名古屋ガス会社のタンクから、現在の陶本町、福よし旅館辺りにできたタンクへガスを送るための鉄管が通っていた。時は、大正元年(1912)のことである。11月頃から瀬戸の町にも、ガスが供給されることになったが、永い間のくらしの中で見付けた燃料のイワキ、マキの生活から切りかえるには時間が必要で、ガス事業はのびなやみの状況であった。

 ちょうどそんな頃、第一次世界大戦がおこり、鉄材の値上がりで、ガス管を掘って売った方が利益があると、大正8年(1919)10月22日に廃止となった。そして、あの第二次世界大戦後、日本が高度成長時代に入った33年(1958)にはガス導入の世論調査も行われ、34年(1959)には、市と商工会議所、連合自治協議会の三者により準備が進められ、35年(1960)4月から東邦ガス株式会社によりガス供給が始まった。

 守山の瀬古にあるガスタンクから、県道の主要地方道 名古屋瀬戸線の地下が利用され、共栄町一丁目に、同社の瀬戸サービスセンターがおかれている。事業開始時には1000戸、現在は13000戸に使われている。