昔は、1戸に1つの井戸が戸外に、大方は東南の方角にあった。
【井戸ばた】
井戸の辺りをこう呼んでいた。雨水などが入らぬよう工夫され、水がめ、流し等もあり、せんだくもした。せんだくは、「たらい」とせんだく板を使った。一度使った水は、ためておいて肥しや、道ばたの家では打水もした。こんな状態だったから、蚊が多かった。
共同井戸では、井戸ばたで水汲みやせんだくしながら、世間ばなしを楽しむ場所でもあった。そこから、井戸端会議と言うことばが生れた。
【水汲み】
井戸から水を汲むには、長い間「つるべ」を用いるのが普通であったが、車井戸もあった。やがて、ポンプが普及してきたが、汲んだ水は「ておけ」で、家の中にある水がめに運んで、「ひしゃく」で汲んで使った。ふろ水を汲みこむことは、たいへんであったが、押し上げポンプや動力ポンプが使えるようになって、便利になった。
井戸は、神聖なものとして井戸神とあがめた。正月には鏡もちを供えたり、「若水」を汲むという行事もあった。
【井戸ざらえ】
水は底から出るものが多かったので、水位がさがった時、数年に1度、水をすっかり汲みあげて、井戸底の掃除をやり、「人を汲み出して、井戸ざらえ、しまい」ということであった。
この後、お神酒と塩をまいて清め、一夜明けてから使った。
【掘抜井戸】
瀬戸川の吉田橋辺りから下流の地域には、自噴水の掘抜井戸があった。八王子神社の「みたらし」用の掘抜井戸について、「発起人伊藤徳右エ門、井戸掘り新居南原山、三浦義太郎、大正5年(1916)10月17日午後5時、水が出た」という区長兼氏子総代青山嘉左エ門の記録がある。
【地下水】
井戸水は、使えば使うほどいい水が出た。水温は、1年じゅう変化が少ないので、夏は冷たく冬は暖かい水であった。都市化が進んで、農地や山林、昔は20位あった溜め池も開発されたから、地下水の水位が低下したので、井戸水はだんだん枯れてしまった。今は、上水道のおかげで、蛇口をひねりさえすれば、水が出る生活になった。