毎年2回は、決って富山の薬売りがやってきた。これは江戸時代から続いてきたことらしい。常備薬として、大きな紙袋や薬箱に入れて家々に預り、次に廻ってきた時に、使った分のお金を受取り新しい薬と入れかえていく商法だった。
薬屋は、着物の裾を尻ばしおりし、羽織を着て、パッチに脚絆、紺足袋に、わらじばきといういでたちで、荷物を包んだ紺色の大ぶろしきを背負って歩いてきた。
半年振りのあいさつを交わしながら、上りがまちに荷物をおろし、風呂敷を広げた。中には段々にはめこむことのできる5段ぐらいの柳行李が入っていて、その一つ一つに薬が分類され、見事に整頓されていた。
いろいろ世間話しをしながら、二つ折りにした厚紙をひろげ、その上で、手際よく使い残りと新らしい薬の入れかえをした。それが終ると、矢立を取り出して数量を書きこんだり、小さいそろばんで計算したりするのがものめずらしく、そばに座って見ていたが、何んといっても楽しみは、おみやげの角ふうせんや食い合せ注意等の絵をもらうことだった。
その頃、金モールで飾った黒い軍服まがいの服装で、手風琴を鳴らし、娠やかに「オイチニの薬売り」もきた。珍らしさに、子どもたちが、「オイチニの薬は、ようきくくすり、オイチニ、オイチニ」と、はやしながら歩調をとって、ついてまわったこともあった。
一時は、何人かの薬売りが出入りして、断るのに困る程だったが、時代と共に影がうすれ、今では、父祖の頃からなじみの薬屋が、ただ1人、にこやかに廻ってこられるが、大風呂敷は、立派な革のカバンに、着物は洋服に、徒歩から自転車、バイクに、わらじは地下足袋、靴と変わってきた。