今から500年程前、松原下総守広長公がこの土地に城を構え、男神5柱、女神3柱をむかえて八王子社を建て、また、薬師如来をむかえて医王山八王寺を開創した。これが八王子神社と慶昌院のはじまりと伝えられている。
広長公亡き後は、八王子社はご典医だった矢野氏によって守られていた。一方、八王寺は、当時天台宗に属し住職もなかったが、1631年(寛永8年)雲興寺15世住職興南義繁師が曹洞宗に帰入させたといわれるが、安藤政二郎氏の「瀬戸ところどころ今昔物語」はこれより先、寛永5年(1628)孝岳慶須が中興開基となって寺号を慶昌院と改め本尊を釈迦如来とした、と記している。いずれにしろ以後雲興寺の末寺として続いたものの次第に衰退し元禄11年(1698)雲興寺19世玄峰伝旨を迎えて中興開山とするなどの曲折を経てきた。今村と広長公のつながりは連載の「広長公物語」にゆずるとして、今村が以来昭和のはじめまで1村1社1寺であったことは、広長公との結びつきがそうさせたともいえるのではあるまいか。また、隣村の美濃之池の村社も八王子であること、今村の大部分が慶昌院檀家であることもこれを物語る。
瀬戸の発展と今村の都市化が進んで、寺院は次のように増加した。各寺院の沿革由緒についてはここでは割愛し、やがて出版される本に載せたいと思う。
- 真宗大谷派 光国寺 西吉田町 昭和6年(1931)移転完了
- 曹洞宗 弘誓寺 東吉田町 昭和12年(1937)説教所から昇格
- 真言宗醍醐派 覚城寺 追分町 昭和21年(1946)不動教会から昇格
- 浄土宗 善光寺 西吉田町 昭和23年(1948)説教所から昇格
- 日蓮正宗 天晴寺 東長根町 昭和44年(1969)東印所町から移転