年中行事と祝祭日

1872年~( 旧編集委員会 1980年10月 筆 )

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 年の初めの初詣でから大晦日の除夜の鐘まで、年毎にくり返される行事は多い。この年中行事も時代と共に変化していく。生活が複雑になった今では、家ごとにちがったものもみられるようになった。いうなれば“家庭暦″である。

 学童には学校暦があり、会社には会社暦があり、社会生活には何とかデー、何々週間といったものもある。又、政治が公に定めた祝祭日もあり、その中で、我々の生活は行われている。

【改暦】

 大陰暦(旧暦)から太陽暦にかわって、明治5年(1872)12月3日を明治6年(1873)1月1日と改められたときは庶民にはショックだっただろう。月の満ち欠けを生活の基準にしていたこれまでの暮しに狂いが生じたのである。満月の夜に行われた行事が新暦になって闇夜になる、ひな祭りに桃の花は咲かない、七夕は梅雨の季節で天の川は雲の上……。そこで、例えば正月もお盆も、新正月と旧正月、新盆と旧盆というように併用されるケースも多く、明治100年を超えた今も農村の暮しの中に旧暦は生きている。

【祝祭日】

 古来行われていた五節句、1月7日の人日じんじつ七草、3月3日上己、5月5日端午、7月7日七夕と9月9日重陽ちょうよう栗節句が廃止され、新しく祝祭日を設けて国民的休日とし国旗を掲げることが指示され、新しく四大節(新年節=元旦、紀元節=2月11日、天長節=時の天皇の誕生日、明治節=11月3日)が定められ、学校では祝賀式が行われた。これらの祝祭日も昭和23年(1948)に廃止され、国民こぞって祝う「国民の祝日」に生れかわった。

【休日】

 古い時代の節句や盆正月をはじめ年中行事には仕事を休み、それぞれ慣習に従った料理などを食べて楽しんだものだが、これら年中行事の中には宗教に基くものもあって、仕事を休んでもよいどころか、休まなければならないという日もあった。

【行事の一例】

  • 1月14日「左義長」 一名どんどこ。正月の松飾りなどを集めて焼く。
  • 4月3日「おんぞ祭」女は針仕事を休み、おんぞ餅をついて祝う。
  • 5月  「早稲振り」田植を終った後の慰労休暇で、この日はうどんをたべる。
  • 9月13日「豆明月」 畦豆(枝豆)を茹で、芋などと共に供えて月見をする。

と、こんな優雅な行事もいくつか行われていた。

 現在では週体制が定着し、生き残った年中行事も日曜日を利用するようになったり、由緒も判らなくなっていくのもある。一方では新たに創られる年中行事もある。

これらは、今後も時代に即応した形で、永く伝承されていくだろう。