明治23年(1890)頃の日本は米の輸出国であったが、人口の増加とともに10年後には輸入国に逆転してしまったので、農業生産力を増やすために耕地の改良、つまり耕地整理が必要となってきた。
愛知県では明治43年(1910)に「耕地整理及び土地改良事業奨励規定」ができた。申請するとその地区の測量及び設計を県が無償で行い、工事費は組合の負担というものだったが後には工事費にも補助金がつくようになった。
大正元年に瀬戸町西部耕地整理組合(今の尾張瀬戸駅北)、大正2年(1913)に瀬戸町東部、大正14年(1925)には瀬戸町権現耕地整理組合が設立され、3年から5年位で工事は完了している。
瀬戸町今耕地整理組合は前号に書いたように、大正14年年(1925)12月に測量設計と補助願を提出、昭和2年年(1927)4月1日組合設立を申請し、同年12月認可、着工したが工事の終り近くに戦争が始って一時中止の破目になり、結局、完了は昭和27年年(1952)12月になってしまった。
(耕地整理法は明治32年に作られ、昭和24年、土地改良法に生まれかわった)