市の都計第1号 西部土地区画整理/土地百年

1954年~( 旧編集委員会 1980年3月 筆 )

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 效範小学校から西の地域(旧川西嶋)を瀬戸の表玄関にふさわしい町にしようという、大竹加三、青山鎌一、横山健一さんらの呼びかけに対し地域外(旭三郷19名、旧瀬戸市内8名、その他周辺地区40名)を含む140名の同意書が昭和29年(1954)末にまとまり、区画整理捉進委員会ができ、組合を作って事業を行う方法と市が直接行う方法のうち後者を選んで準備が進められ、昭和31年(1956)9月市議会で瀬戸市都市計画西部土地区画整理事業の施行を決定、34年(1959)3月、現地で起工式を行い41年(1966)3月末瀬戸市第1号の都市計画事業は一応の終了をみた。

 土地区画整理法のねらいは公共施設の整備改善と宅地利用の増進にあるといわれており、西部区画整理の前と後を比べてみると、公共用地は施行前1万7千余坪であったのが整理後5万5千余となり民有地は20万余坪あったのが施行後は15万余坪、整然たる道路と、いくつかの小公園をもつ、近代的な街に生まれ変った。