郷土の文化財/街道の今昔

1865年 ( 旧編集委員会 1980年1月 筆 )

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 どこへ行っても、その土地に住みついていた人々の長い長い暮らしの歴史の中から自然に生えたような石仏や碑の一つや二つはあるものだ。今村にだってそんな石造物があってもいい筈だと思って調べにかかったら、なる程あった。ここにご紹介するのはその中間報告である。昔、旧瀬戸街道を西からやって来て根ノ鼻の急坂を上り切ると、そこに馬の水飲み場があったという。その近くに胴が二つに割れた馬頭観音がある。道中馬の安全と供養のために祀られたものだろう。現在は最初有った位置から少し外れているように思うが、西山町の誰が作ったのか小さな祠に安置されている。

 又、北脇公民館前には、舟形光背に道しるべを刻んだお地蔵さんがある。

 「左いいだへ、右○○ヘ」

 この右の○○が全く風化してしまって判読できない。これもどこかにあったのを、ここへ移し祀ったものであることは間違いないが、どこにあったのだろうか。「左いいだへ」というと、ひょっとすると追分の辻に西向きに立てられたものか…… 右側がより強い風雨にさらされる所にあったのだろうが、もしこの地蔵が最初どこにあったのか、ご存じの方はぜひ教えていただきたい(写真)。背面に「慶応元丑七月吉日」と彫ってある。1865年、今から115年前のものである。

 道標としては寺山のお天王さんの前に1本、右やまみち、左あきは道、というのが立っているが、これも位置は少し変わっている。

 寺山、市場といえば今村の本郷だけに歴史は古く、今村全村にある石灯篭9基のうち7基までが集中しており、最も古いのは八王子神社に「御神前」と刻まれたもので明和6年(1769)、これについで古いのが市場弘法堂前の寛政12年(1800)のものである。三番目が平町弘法堂の天保12年(1843)、四番目は寺山辻の嘉永3年(1850))、その次が北脇の文久2年(1862)、あとは皆大正以降だ。

 瀬戸川畔效範橋の東に明和4年(1769)の水神があって、鈴木利兵衛の名が入っている。200余年の前のものだ。これよりは新しいが八王子神社のお堀にも2基の水神がひっそり立っている。

 これらの他に、歴史を伝える碑文もいくつかあるが、それは又稿を改めてご紹介する機会もあろうかと思うのでここでは割愛する。