今は故人となられた伊藤惣一氏は、今村誌を作ろうとされた長江鎌次郎、松原覚城、青山政五郎、伊藤浜吉、村田秀雄、那須八郎、青山政信、大竹加 三等々の先人の遺志を継ぎ、今村誌編集委員会を組織し、昭和54年(1979)5月20日「 郷土誌だより いまむら 」(創刊号)を刊行された。この機関誌 いまむら は、昭和56年(1981)4月20日発行の第13号をもって絶版となっている。
この第13号の中で、伊藤惣一氏は、『みんなで作ろう今村地区誌』と題してこんな一文を載せている。
『郷土誌は、専門家か特別な人々にまかせて作ることが多い。が、この地域では、みんなで作ろうじゃないかと 機関誌「郷土誌だより」を第12号まで出して、その後、ひとやすみになっている。(中略)
「今村」という地名は、松原広長公の命名で、公が亡くなられてから来年は 500年になるから、来年こそ出版の年としたい。こうなると 急がねばならぬ。今年の夏休みが山になる。
あなたも本作りの世話人になって、更に仲間を増やして、文章だけでなく写真、絵、地図等書いて、「いい本 ができた」「これこの通り」と、自分の証が見せられるよう、永久に残る活動に参加しよう。』と。
惣一氏は、先輩諸氏の残された資料や原稿を吟味され、より確かな郷土誌作りに精力的に取り組まれ、膨大な資料を収集されるとともに、郷土誌「いまむら」の情報を地域から得るために、「 郷土誌だより いまむら 」を編集、発行し、地域のひとびとに配布するという大事業を手掛けられた。
氏の予定では、昭和57年(1982)月15日の松原祭を郷土誌「いまむら」の発刊の日としておられたのではなかろうか。
この貴重な資料の散逸を防ぎたいという願いは、研究メンバーの一人、慶昌院住職(伊藤正康)の計らいで、慶昌院白雲堂に、「今村誌資料庫」を備え、又、膨大な資料の整理と「いまむら誌」に関する情報の発信と収集をインターネット上で運営していくための作成管理や資料のデジタルデ-タ化を、矢野設計室(矢野睦巳)の支援により「 郷土誌だより いまむら 」(No.1~13)の原稿整理を中心にスタ-トすることにした。
「いまむら誌」の編集・発刊などは私どもの力量ではできないが、纏めてみようという人が表れた時、整理できた資料が慶昌院の「今村誌資料庫」とデジタルデータとしてディスクに納まっているようにしたい。