地租改正と山林原野/土地百年

江戸~大正( 旧編集委員会 1980年3月 筆 )

<back

 山林原野のうち、個人の持山や屋敷に付属した山林は、耕地や宅地と同様、地券が交付された。

 尾張徇行記によれば「藤塚御林御鳥林」のように、「御」のついた山が、周辺の村々にもたくさんある。尾張藩が上水野村に、お林方おはやしかた奉行所を置いて、営林・盗伐の取締り等をしてきた山はすべて、異議なく官林(後に国有林・御料林)になった。

 今村には、古文書によると定納山じょうのうやまが18町6段余りあって、税として米3石8斗を村から納めていた。こうした山を「村持ちの山」「百姓持の山」といわれたが、これらの山の取り扱いは難しかったようで、官有地になった所もあり、公有地の肩書きのついた地券の出た所もあったと思われるが、その資料は見当らない。ともあれ、村持ちの山は藩主の規制はあるものの、村人はそこから肥料や燃料、飼料等を得て永い間生活してきて、それなりに利用のルールも作っていたが、だからといって、それは民地の証にはならず、官有地ということになったのは当然のことながら、村人たちにとっては、何か割り切れないものが残ったようである。

 今までのようなつもりで薪を取りに山へ入った所を山巡査に見付かって「オイコラッ」と怒られた話(本紙創刊号参照)など、その一例であろう。